どっちがホント?-ゲシュタルト心理学への誘い-

 

 さて、何に見えるでしょう? 目をよ~く見開いて見てみましょう!

 

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  これは、「ルビンの壷」といって、視知覚心理学という「心理学」の領域でよく出てくる話です。白抜きの部分を見れば、ふつ~に「壷」に見えますけど、その白抜きの図を背景に押しやって、黒塗りの部分に焦点を当てて”観る”と、なんと!「二人の人が向き合っている」図に見えますでしょう?!。。。

 ゲシュタルト心理学という領域では、このように「観る」「観える」ということは、決して単に視力検査のランドルト環(おたまを片目に当てて、”C”の空いている方がどっちかを答える)だけではないということを教えてくれます。そして、それだけではなく、こうして普段何気なく見ている世界も、本当は見たいものを「観よう」としている無意図的な心の作用が働いているということに気づかせてくれます。

 例えば、こんなエピソードはどうでしょう。大好きだった恋人と付き合っていくうちに、だんだんマンネリ化してきて、いわゆる「倦怠期」なんて状態に入っていったとします。次第に、相手の嫌なところが目につくようになって、そのうち気になって、気になって‥、そのまま‥気持ちも薄れていって‥、「もう別れよう」なんて思うようになる‥。よくある恋愛のパターンですけど、これはまさにゲシュタルト。

 付き合い始めは、何していても楽しくて、相手のことが好きで‥、上の図で言えば黒塗りの部分のように、常に「向き合っている」心の状態。でも、そのうち、だんだんと視点がズレていって、欠点がいっぱい詰まっていそうな”ド「壷」”にはまってしまう心の状態に。。。でも、ホントにそのような見方だけで、世界や他人(異性や家族、友人)を観ているだけで、自分に何か得することが(もっと簡単に言えばハッピーになることが)あるでしょうか。。きっと、Aさんは、次の恋愛でも同じことを繰り返す・・・なんてことにも?

 最近、Piano♪を始めました。何気にやってみると面白い。初心者の学生たちは、音楽の授業でしごかれながら、日夜♪ポロ♪ポロロンと練習に励んでおります。私も、それに混じってやってみようと。初心者学生の苦労を身をもって感じてしまって・・・、とても「弾いている」とはいえないけど、でも何かが面白い♪何だろう・・・と。

 ♪「大きな古時計」という保育現場で、保育園の先生達がこどもたちと一緒によく歌っている曲を練習しているのですが、右手の旋律の方は誰でもよく知っていますし、聞き覚えがあるからそんなに苦労せずに弾けたので・・、、すが・・、問題は左手の「伴奏」。だからといって旋律だけ弾ければいいかっなんて、右手だけで弾いてみると、曲としてはなんとも味気ない。

 ♪そこで、私は左手の伴奏を猛練習。次第に左手の方ばっかりを意識して弾くようになって、その音が耳に残るようになって、離れなくなって、するとどっちが曲の旋律?どっちがホント?なんて思うようにも>>>>♪♪でも、左手だけでは、何の曲かもわからない>>> 右手の旋律と左手の伴奏の調和♪

 人の長所と短所、音の旋律と伴奏、世界の光(明るさ)と影(暗さ)、どちらも欠けると「図」にはならない。先程のAさんも、このことがわかっていれば、もう少し違った未来があったかも。「壷」も「向き合う顔」もあって、一つの図という全体が生まれてくるのでしょう。意識をすれば、きっと何か別のものが見えてくる。。。

 ゲシュタルト療法も、このような目的でこじれた人間関係を解消していく心理療法でもあります。いつも「こども」である自分が、「親」のように振舞って親の気持ちを疑似体験したり、「彼女(妻)」である自分が「彼氏(夫)」のように振舞って相手の気持ちになってみる、なんてこともしてみます。すると、自分には気づかなかった意外な部分が見えてくる・・・。

 人はどうして、とかく一方の見方だけで「観て」しまうのでしょう?

 ♪と、いうことで、再びPianoの練習を。あ~やっぱり左手は動かない。。。自分は右利きだから、(と言い訳しつつ)、左手の伴奏はテキトーに弾こうっ、と。

T. Tsukahara

 

  

 

 

 

 

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