静かな粉雪が少し淋しげな山肌を着飾っていた。麓に広がる波のような雪の原は、淡い夕陽に乱反射して、落ちそうな瞼を時節、醒ましてくれた。いつもなら、もっと奥深い雪の雲が木々をすっかり覆い隠すのだろうに、今年は控えめな化粧で落ちついて、それもまた穏やかな時しもを感じさせてくれた。
今、幼児教育学科の学生達は、各々の地元に戻り保育実習をしている。そこへ、教員が実習園に伺い、御礼のご挨拶と学生の様子を見に巡回していく。その帰途の折、今日乗ったタクシーの運転手の話をふと思い出した。
私が担当した新潟地方のある奥地へ向かう途中、その運転手はのっけから上機嫌で、降雪と積雪の違いや新潟雪の今昔を語ってくれた。とりわけ、積雪は田畑にとって重要な意味があり、春先の田植えにはその年の積雪が影響すること、積もった雪が害虫を駆除してくれることなどを解説し、今年は積雪が少ないから稲の質が落ちないか心配だと語った。 運転中だというのに、力説きわまって、窓の外をあちこち指差したり、私の方を振り返るのだから、ただでさえ滑る雪道を車両がずるずる揺れて、まだ昼下がりだとういうのにすっかり酔い心地になった。
ほどなく、私はその車両を選んだことをひどく後悔した。雄弁な語りは目的地まで続き、あげく自分の武勇伝と別れた女房への未練にまで広げられたので、ド素人のバイオリンに付き合わされた気分になった。だが、その積雪の効果については、なるほど自然への畏敬を覚えざるを得なかった。良質な新潟米は、そんな自然の厳しさの恩恵を受けることで作られるのだろう。
実習中の学生に合う度、普段短大にいる様子とは違う姿を見せてくれる。いつも鼻っ柱強く物申してくる学生が不安隠せず弱音を呈したり、かと思えばあまり目立たない方だと思っていた学生が天真爛漫に子ども達と関わっていたりと、その特徴は、降り終えた積雪のように均一ではない。ただ、どの学生にもあてはまるのは、多かれ少なかれ、実習への不安が夜雪のように知らぬ間に積もっているということだろうか。恐らく、真面目に取り組む実習生にこそ不安が降りかかるのだろうし、きっとどんなベテラン先生も、初学者時分にはそんな不安を抱えていたであろう。だけど、その不安の積雪が、初学者にありがちな「根拠のない自信」という害虫を駆除し、「謙虚な精神」という良く肥えた土を育てくれるのかもしれない。実習生は、これから種を植え、稲を育てるための、積雪段階にいるのだろうか-。
私にとっては慣れぬ雪国の寒さと不便さでも、そんな雪道を毎日歩いて実習園まで通っている新潟地方の学生達の逞しさには脱帽で、この土地で鍛えられた新潟地方の学生さんは、きっと良質な保育士さんになるのだろうと確信した。
帰路の車窓から、そんな自然と人の心理の共時性(synchronicity)を思った。すっかり安心して、私は新潟をあとにした。タクシーへの不安は、まだ拭い去れぬままに。。。
上田女子短期大学は、新潟地方の学生さんを応援しております。
( T. Tsukahara )